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健祥会創立40周年記念講演
水野雄仁氏「わたしの野球人生」
阿南市文化会館

今年健祥会は創立40周年。その記念事業の一環として徳島県出身のプロ野球巨人軍投手コーチ 水野雄仁氏をお招きし、水野氏の地元である阿南市で講演会を開催しました。

冒頭、阿南市文化会館夢ホール満員のお客様に、健祥会グループ理事長中村太一がご挨拶申し上げました。

「水野さんから教わった、勝つことの難しさ、勝負の厳しさ」

ひとつの特別養護老人ホームからスタートし、健祥会グループは、今年、創立40周年を迎えます。高齢者福祉から障がい者福祉、医療、幼児教育、人財育成まで、幅広く事業展開を図るとともに、徳島から、香川、高知へ、大阪、京都、東京、各地に現在66施設を運営し、地域に根ざしてまいっております。ここ阿南市でも皆様にお支えいただき、羽ノ浦、那賀川、大野、福井で事業所を運営させていただいています。皆様方の日頃よりのご支援に心から感謝申し上げます。

本日は、読売巨人軍の現役コーチというご多忙の身でありながら、講演依頼を快くお受けくださり、水野雄仁さんがスケジュールの合間を縫っておいでてくださいました。本当にありがとうございます。また開催にご尽力くださった徳島新聞社と阿南市にも厚く御礼申し上げます。
伝説の昭和58年夏、私は小学生でした。池田高校が高校野球史上初の夏春夏の3連覇をめざした夏の大会。父に連れられ、決勝戦を観戦するために淡路に前泊していた日に、なんと準決勝で破れたのです。あのときの悔しさを今もよく覚えています。そしてあの試合から、勝つことの難しさ、勝負の厳しさを教えられました。ドラフト1位で巨人軍に入団し、以来ずっと野球界で活躍を続ける水野さんのお話、皆さんと一緒に楽しみに聞かせていただきます。

水野雄仁氏ご講演より

「蔦文也はすごいっ!!!」

客席後方より現れ、駆け抜けるようにステージに上がった水野さんに、大きな歓声と拍手があがります。地元の生んだヒーローへのあたたかな愛情がホールに充ちていくかのような光景でした。


水野さんは、●幼い頃から兄を目標としていたこと●少年野球チームでどうしても勝てなかった一学年上の畠山準選手を追って池田高校に進学したこと●「攻めダルマ」といわれた蔦文也監督に毎日殴られたこと●蔦監督のあの厳しさがあったからこそ、野球人生のスタートが切れたこと●蔦監督は40年も前から、しっかりいいものを食べて筋肉をつけることや練習中の水分補給を大事にしており、当時としては画期的な指導者、とにかくすごい人だったこと●プロの世界に入って辞めていく人の方が多い中、37年目にしてまだ野球とともに生きていられる幸せ●成功し結果を残している人は誰もが、幼い頃から夢を描いていたこと●自身も小学6年生のときから、10年後巨人のユニフォームを着る自分をイメージしていたこと、などを冗談を交じえながら楽しく語ってくださいました。

「夢を持ち続け、諦めず努力し続ける大切さ」

質問タイムには会場から次々に手が上がり、昨年の巨人軍の日本シリーズ4連敗の原因や今年のペナントレース予想、高校野球1週間500球制限への見解を求められたり、どの方の質問にも楽しく丁寧に答えてくださり、ホールは終始和やかな雰囲気に包まれました。小学4年生の男の子からのどうすれば野球がうまくなれるかとの問いには、しっかり食べて身体をつくることとうまくなりたいという気持ちを持ち続けることが大事、目標の選手を見つけて真似をして毎日練習に励むようにとのアドバイス。お話の随所で、夢を持つことの大切さ、夢に向かって諦めず努力することの大切さを力を込めて語ってくださったのが印象に残りました。

水野さんと野球と地域への愛情が会場いっぱいにあふれていて、演者と会場が一体となった本当にあたたかなすばらしい講演会でした。
水野さん、そしてご来場くださった皆さん、開催に尽力くださった関係各位に改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

[記事公開日]2020/01/15(水)
[最終更新日]2020/01/17(金)

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